見返りなく与えるということとは?
何かを与えるとき、差し出すとき、
見返りを求める気持ちがあったら、それは相手をコントロールすることと同じこととなります。
「こんだけやったから」
「いつもやってあげているのに」
「きっと感謝してくれるだろう」
「喜んでくれるはず」
そんな風な「下心」があったりするときは要注意です。
表面では「自らやっている」ようでも、内心の気づかないところでは「やらされてる」と感じていたりします。
なぜ、やらされている感がするのか?というと、その「取り引き」したいものがあるために、そう思ってしまうのです。
・認められる
・褒めらる
・言うことを聞いてもらえる
・愛される
それが欲しくて、身を差し出して与えているからなのです。
見返りを求めていては”奪っている”と同じこと。
「これあげるから、それちょうだよね」と言っているのです。これでは、良い循環がおきませんよね。
なにか与えるとしたら、「自分から溢れたものを、溢れた分だけお裾分けする」
そんな感じでいいと思います^^
人生が好転し始めるたったひつの方法は…
目の前の人に、
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どうすれば喜んでもらえるだろうか?
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そんなふうに、自分のできることで精一杯を(見返りをもとめずに)何ができるか考えてみる。
そんな視点で物事を常に考えられうようになったら、人生がうまくいき始めます。
自分のことは自分で満たしながら、
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目の前の人に心を尽くす。
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見返りを求めずに与える、とは
そういうことなのかな、と思います。
<しつもん>
Q、目の前の人を喜ばせるために、あなたに何ができますか?