あなたが望むことは何ですか?
あなたがしたくてたまらないことは何ですか?
どんな状況を思い描きますか ?
例えば、私はよく学生の進路相談に乗ることがある。
学生は言います。
「もうすぐ卒業なのですが、今後何をしたいのか分かりません」
そこで私はこう問いかけます。
「もしお金がなかったら何がしたい?」
「何をして君は人生を楽しみたい?」
すると面白いことに
現代の教育を受けた若者たちは みんなこういます。
画家になりたい、
詩人になりたい、
作家になりたい、、、
「でもそれでは稼げないのです 。」
またある学生はこう言います。
「馬に乗ってアウトドアな生活がしたい」と。
「君は乗馬学校で教えたいのか?
、、、本当に何がしたいのか?もっと深く考えてみよう」
と聞き返します。
ついにそれがわかったら、私は、学生に
「それをしなさい。”お金の事は忘れるんだ”」
と言っています。
やりたくないことをしてお金を稼ぐということをしていれば、
やりたくないことをやり続ける人生になるからです。
実に馬鹿げている。
そんな惨めな状態で長生きするより、
短い人生でも好きなことをやって過ごした方がマシだ 。
それが「好きこそものの上手なれ」なのです。
だから心配することはない。必ず興味をもつ人が出てくる。
あなたのやってることに共感してくれる人も出てくる。
それを子供たちにまで同じような道をたどるように教え、受け継がせてしまう。
だから自分のやっていることをよく見直すことだ。
自分と同じような道を歩むよう教育していないかどうか 。
人は、 自分を正当化しようとするために充実した人生を送ろうとしながら 、
同じようなやり方で子供たちを育てているのだ。
まさに、吐き気がするのにいつまでたっても吐き出せない状態で生きているのだ。
この質問にじっくり取り組むことがとても大切なことになってくるのだ。
「私が望むことは何だろう?」
ーアラン・ワッツー(イギリスの哲学者)
魔法のことばだね。私の望みはなんだろう?って。
自分が進んで行く先の未来って、信じられますか?
もし必ずそこに到着するよ、と言う予測が立っていれば安心ですよね。
未来って、見えないから不安なんだけど、
もしかしたら、自分がちゃんと望むものを明確にしていない故に…ということだってあるかもしれません。
自分が目指す方向。これを知るってとっても大事なんですよね。
自分の望みを明確にするということは、
未来から差す光のようなものです。
この光がない人は、右も左も分からないような、
雲の中か、暗闇の中か…そんなところを
さまよっているように感じるでしょうし、不安に思うのかもしれません。
また、自分の望むものが明確でいときは、 自分は間違っているんじゃないだろうか?
そういう思いが頭をよぎり、心が不安になります。
正しい・間違っている。という世界に身を置くと、
自分はどっちなんだろう?と自動的に思ってしまうから。
自分の 夢ややりたいことに、正解不正解はなく、なにを望んでも大丈夫なのに。
私の望むものは何だろう?
常にそう問いかけていると、自分の中から答えがやってきます。
私の望むものを、どんなに小さなことでもキャッチしたなら、
それを常に叶えていく。
なにを食べるのか
お休みの日はどこにいこうか
ふっと目についた本を買ってみるとか
まえから行きたかったお店に行ってみるとか。
「望むもの」だから、なんでも自分の内側から湧いてくるものは望みです。
それに大きい・小さいもなくって。
もしかして、小さい望みすらも叶えることができていないとしたら、、、
少し大きな望みなんて「叶うわけない」と無意識に思ってしまうかもしれません。
だから、常に自分の望みはなんだろうか?と問いかけ
出てきた「それ」をやっていくことがとても大切。
その先に自分が思い描いている世界が待っているのだから。